Things We Said Today
〜今日の誓い〜
2020/9/24
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超大変だった腸炎の話 |
基本在宅で体重を減らす方法〜筋肉は裏切らない〜 | |
ミッドナイト・クラクション・ベイビー〜t.A.T.uがドタキャンした日、お茶の間で〜 | |
15ヶ月で15kg減量に成功したダイエットの話 | |
お断り
今回はドラマ「スクール☆ウォーズ」及び映画「スクールウォーズ」、さらには両作品の原作において、深刻で無慈悲なネタバレが行われます。 さすがに30年以上前のドラマと、15年以上前の映画にネタバレもないと思いますが、ネタバレがイヤだという方は読まないことをオススメします。 本稿ではタイトル名では差別化がしづらいため、「ドラマ版」「映画版」とし、ドラマ版原作を「光文社版」、映画版原作を「幻冬舎版」と致します。 また、人名も役名か俳優名かモデルの人物か判別しづらいため、特に敬称のない場合は役名、「氏」がつく場合は俳優やスタッフ、「さん」がつく場合はモデルとなった人物と致します。 あらかじめご了承ください。 |
お久し(略)
なんだか年に1回登板して「信じてるぞ、奇跡の復活」「来年こそは頼むぞ」と声のかかる昔のエース投手みたいな感じですね。
Twitterは連日更新してるからね☆
先月くらいから、ドラマ「スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜」見直してまして、スクール☆ウォーズ熱が戻ってきました。そのままの勢いで映画版も見たのですが、「おいおい、これはTwitterでは書ききれないな」ということで、久しぶりに書くことにしました。
いや、本当はウォーキングの話を書きたかったんですが、気付くと毎回健康ネタなので、違うネタを挟んでからと思ってるうちに違うネタが思いつかなかったという。
以下本編。
先日近所の「GEO」(まだ潰れてない)に寄ったところ、邦画の青春映画コーナーで「スクール・ウォーズ−HERO−」の背表紙が目についた。ちょうどドラマ版「スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜」を見直しており、毎回号泣していたところだが、映画版は見ていなかった。公開は2004年、当時はあまり芳しい評価を聞かなかった。その後のネットレビューでは賛否両論だが、17年が経過しあまり思い出されないということはそこまで良い映画ではなかったのだろうということを察していた。
とはいえ、ファンとしては見ておこうかなと思い、気付けば手にとってセルフレジへと向かっていた。そして見た。何度も止めて休み休み見た。いっぺんに見るには気力が続かない。悪い映画ではないが、冗長でテンポが悪い。編集がイマイチ。脚本構成も下手だ。これはきちんと感想をまとめておこうと思い、筆を執った。もとい、キーボードを叩き始めた。
2004年公開、映画「スクール・ウォーズ −HERO−」、監督は関本郁夫氏(偶然にもモデルとなった伏見工業高校出身)、脚本は大川俊道氏と山田立氏。一方ドラマ版は1984年〜1985年放映。オンエアから20年が経過していた。2021年でいえば、2001年の朝ドラ「ちゅらさん」が突然映画で復活、しかもスタッフもキャストも制作会社も違う、みたいな感じだろうか。そういうわけで当時としても非常に驚いた映画だったことはよく覚えている。
ここで「キャスト、スタッフが違うのはともかく、制作会社が違う」ということに疑問をもった人もいると思う。ドラマ版は大映テレビと、TBSが制作。映画版は製作委員会方式だが、配給は松竹でテレビ朝日が関わっている。実はドラマ版と映画版では原作が異なるのである。
そもそも「スクール☆ウォーズ」を知らない人のために書き加えると、元々はラグビー全日本代表選手の山口良治さんの出来事が始まりである。引退後実業団からの誘いを断り、京都府の京都市立伏見工業高校へと1974年に教師として赴任したのだ。当時の伏見工業高校は非行生徒が暴れ回る荒廃と暴力のただ中にあった。山口先生は他の教師と助け合いながら荒れた学校を立て直し、不良少年をラグビー部に入部させ熱血指導を行った。赴任の7年後、1980年、監督を務めたラグビー部は全国大会優勝を果たし、大八木淳さん、平尾誠二さん、細川隆弘さんといった著名なラグビー選手を多数輩出した。この伝説的な山口良治先生エピソードは、多くのマスコミにも取り上げられた。
山口先生の全国優勝の翌年、1981年、作家の馬場信浩氏が『落ちこぼれ軍団の奇跡』(光文社)というノンフィクション小説を発表。これは山口先生以外にも、多くの関係者に取材を行ってある。大きな話題となり、映像化の話が舞い込んだ。しかし、馬場氏はテレビ朝日「23時ショー」の司会者だったほか、以前は俳優修業をして田崎潤さんの付き人も務めていた。どの映像化も許諾せぬままブームが過ぎ去った。
その2年後、大映テレビのプロデューサーだった春日千春氏がドラマ化の企画を持ち込んだ。この熱意に惚れ込んで馬場氏が許諾し、大映テレビが制作、TBSで放映されたドラマが「スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜」(1984〜1985年、全27話)だった。主演は山下真司氏、共演に岡田奈々氏、岩崎良美氏、伊藤かずえ氏、松村雄基氏。原作のノンフィクション小説を大胆に脚色し、さらには架空の人物を織り交ぜ、大映テレビドラマ特有の荒唐無稽大げさな演出と、次々運命に翻弄される登場人物、さらには春日氏の「教育への熱い思いを伝えたい」信念をくみ取った長野洋氏、大原清秀氏の脚本から生まれる熱い名台詞たち。放映当初こそ低視聴率にあえいだが、徐々にヒットを飛ばし、最終回の数日後に行われた再放送では大相撲中継の裏番組にもかかわらず20%以上の視聴率を獲得したのである。あまりの大ヒットに光文社版はタイトル名が変更され、『スクール・ウォーズ〜落ちこぼれ軍団の奇跡〜』に改題されて文庫化された。原作のタイトルまで変えてしまったのである。
以後ドラマ版「スクール☆ウォーズ」は伝説のテレビドラマとして、「懐かしのドラマ名場面集」だとか「あの出演者は今!?」の常連となった。これはドラマそのものも大ヒットだったが、主演の山下真司氏の他、岡田奈々氏、松村雄基氏、伊藤かずえ氏はじめ主だった出演者の多く、主題歌担当の麻倉未稀氏も含めてその後も芸能界で活躍していること、現在では著名な俳優である小沢仁志氏、四方堂亘氏の本格的なデビュー作でもあること、引退した俳優もその後が面白いこと(森田役の宮田恭男氏が寿司職人に、イソップ役の高野浩和氏がアートネイチャーに転職)、さらに付け加えておくとそれぞれの関係者が比較的「スクール☆ウォーズ」がらみの仕事を断らないのも大きいようである。(前述の山下氏、松村氏、伊藤氏、麻倉氏、宮田氏、高野氏、小沢氏がBlu-rayソフトのCMに登場している)
映画版は何が違うか。これは原作が山口良治先生本人の手記なのである。山口先生が伏見工業高校へ赴任し、その後の苦悩や葛藤を綴った著書が映画版の公開に合わせて幻冬舎から出版されたのである。タイトルは『生きる力を伝えたい―泣き虫先生の熱血教育論』、長いので前述の通り「幻冬舎版」とする。すなわち基本的な事実(山口先生が伏見工業に赴任してラグビー部を指導した)は変わらないのだ。原作が違うので大映テレビやTBSではなく、松竹とテレビ朝日で映画にできたのだろうと思う。ドラマ版では撮影所の都合等で、山口先生の赴任した京都市ではなく神奈川県川浜市の川浜高校という架空の普通科高校だった。映画版は京都府の「伏見第一工業高校」が舞台となり、登場人物も関西のなまりで台詞を話している。ドラマ版オリジナルのエピソードや登場人物も基本的にはカットされている。
なぜ2004年に「スクールウォーズ」が映画になったか。企画会議に出たわけではないが、4つくらい推測できるところがある。
1つ目は2004年が放映開始20周年だったこと、2つ目は2000年に伏見工業高校がラグビー全国大会優勝を8年ぶりに果たしたほか、NHKの『プロジェクトX』(2000年11月21日)で取り上げられ、山口良治先生の話題が続いていたこと、3つ目は2001年に発売されたドラマ版のDVDソフトがDVD黎明期の中で異例の売上げを記録したこと、そして4つ目が「90年代後半から00年代前半に掛けてのリバイバルブーム」があったことである。
4つ目のリバイバルブームだけ付記しておくが、90年代後半から00年代前半に掛けてはリバイバルブームだった。今でもリバイバル作品はあるが、「あぶない刑事リターンズ」(96年)を皮切りに、「太陽にほえろ!」、「Gメン’75」、「西部警察」といった往年の刑事ドラマシリーズが復活。他の一般ドラマでも「砂の器」や「白い巨塔」が制作された。アニメや特撮でも「ウルトラマン」、「仮面ライダー」の2大シリーズに加えて「タイムボカン」、「トランスフォーマー」、「ミクロマン」が放映。テレビ番組までもリバイバルブームで「ぴったんこカン・カン」、「クイズタイムショック21」、「藤岡弘、探検シリーズ」、「みごろ!たべごろ!ナントカカントカ」など往年の人気番組が復活した。おそらく厳密に調べ出せばまだまだあるだろう。
リバイバル、リメイク、リブートは企画の通りやすさとか、出資者の集めやすさとか、いろいろ事情があるのだろう。特にテレビ朝日はドラマ、映画、番組でしばしばリバイバル企画を立てていた印象がある。この映画版もテレビ朝日なので、当時の私も「ああ、テレビ朝日か。リメイク好きだもんな。」と思った記憶がある。
前置きがだいぶ長くなったが、映画の話である。注目のファーストカットはニュージーランド代表が試合前にハカを踊るというエピソードから始まる。
そういえばドラマ版は作ってはいけなかった続編の代表作(でも主題歌は名曲だと思う)「スクール☆ウォーズ2」(90年)までハカの要素なかったよな、もしや差別化のために無理矢理ハカを入れてないだろうな…という不安が一瞬よぎる。
画面が切り替わり、次のカットで、1971年の日英親善試合で山口良治先生が40mのゴールキックを決めたエピソードが挿入される。ただし、字幕で「1971年日英親善試合」と出るだけで、山口先生の話は一切フォローされない。ドラマ版見てる人は知ってるよね?みたいな仕様である。そしてゴールキックのシーンであるが…
そのまんまじゃねえか!
「ドラマ版に似たシーンが出てくる」とは聞いてたが、これは「似ている」ではない、「そのまんま」である。
タイトルが出た後、ラグビー教室で指導する照英氏演じる山上修治。山口良治さんであり、滝沢賢治でもある。
「いいか、大切なのは集中力だぞ。」
それはドラマ版第1話のまんまだろ!
そのラグビー教室を見ていた里見浩太朗氏演じる伏見第一工業の校長が、教育長に山上の獲得を申し入れるが、山上は実業団チームの監督のオファーが来ていて断ろうとした。
それもドラマ版第1話のまんまだろ!
断る山上を諦めきれない校長は何度も山上を口説きに来た。
それもドラマ版第1話の(略
脚本家を庇っておくが、ここら辺は実話なのでどうしても重なってしまう。この直後、校長をバイクの暴走族が襲撃。彼等は伏見第一工業のラグビー部員。「ラグビー部さえ良くなれば、学校も良くなるんだが…。」ん?ドラマ版ではラグビー部だけの問題ではないって話だったんだが……。ここで照英氏が赴任を決心。
着任早々授業をボイコットされ、さらに中川家兄の中川剛氏演じる教師がスーツに火を着けられ苦しむ姿を見て関係する生徒を平手打ちする山上。河原崎建三氏演じる教頭や、中川家弟の中川礼二氏ら仲間の教師になじられる山上。「ここは学校やない…!」やめてやるとばかりに校長を探すが、校長はトイレを直していた。
それは第3話だな!
あと「ここは学校やない」で終わったらダメで、「戦場だ!」って言い切って欲しかった。「スクール☆ウォーズ」なんだから。
「ラグビー部の名義上の監督はワシや。今日からあんたに預ける。」
ええええええええ!?実話では赴任から1年間は同僚教師が務めている監督に遠慮してコーチ(顧問)のみで、監督着任を辞退してるし、それを踏まえたドラマ版も「外部指導の監督」に遠慮してたけど、第6話のラストで監督着任を決心するまで盛り上げてたのに!?あっさり!?あと、校長の台詞は悪くないけど、ドラマ版3話の「心のコーチとして」の台詞の方が好きだなあ。
いざラグビー指導となると、バットを持った不良が山上を挑発。「そのバットを振り下ろしてみろ!生きてこの学校を出さんぞ!」
それは第2話だな!
そう、この映画、尺がドラマ版ほど取れないので、片っ端から原作の印象的なシーンを抜き出しているのだが、幻冬舎版は山口良治さんの教育哲学が多くて詳しいエピソードが不足しており、一部明らかに光文社版とドラマ版から拝借した話が続出しているのである。
したがってこの後も、ドラマ版に似たシーンが次々現れるのである!
「まずは朝のあいさつからだ」と校門であいさつ。(ドラマ3話)
原作通りだからこれには文句はない。
ドラマ版では大石吾朗氏、映画版では中川剛氏がひどい目に遭う。(ドラマ1話)
教頭(ドラマ版は佐原健二氏)が退学処分を主張するが、反対する主人公(ドラマ6話)
そこにその教師が「あいつらは弱いもんから狙ってくる。先生は体が大きいから力で対抗できるけど、僕はできない」と涙ながらに抗議する。
それに対して、主人公は「自分も同じ、力では対抗できない」と言う。(ドラマ6話)
映画版のこのシーンは、ドラマ版とほぼ同じセリフ。そして幻冬舎版、光文社版には出てこない。
志を同じにする教師が現れる。一緒に校門であいさつする中で、感動して泣きながらあいさつする主人公(6話)
留年して我を忘れる森田(宮田恭男氏)、小渕(内田朝陽氏)、モデルは小畑道弘さん。
山上(照英氏)に酒を注がれるが、退学を撤回して飲めずに終わる。
ここはドラマ版は6話で水原(小沢仁志氏)が入浴前に「1杯だけだぞ」で飲んでいる。
光文社版ではこの時飲ませたのはウイスキー入り紅茶。
ドラマ版では森田が暴れた後、新楽にて梅宮辰夫氏、和田アキ子氏の前で「4月から監督をやる」と宣言する。
光文社版でも同じ状況で小畑道弘さんに「監督をやる」と宣言している。
新入生を部員に勧誘(7話)
マネージャーは神田沙也加氏(当時、SAYAKA)
ドラマ版のマネージャー、岩崎良美氏は大映ドラマ名物の非業の死を遂げてしまうが、当然原作ではそんなことは起きない。
モデルとなった新井裕子(旧姓:今井)さんは「プロジェクトX」でインタビューに答えられている。
地元で一番のワルが入学してくる。入学早々、一対一のケンカをして相手をボコボコ殴る(7話)
映画版は背景が滝で無駄にかっこいいのだが、ドラマ版は松村雄基氏が「東京流れ者」を歌いながら殴るシーンが不気味な美しさで印象に残る。
ラグビーに向かない小柄な部員が入部してくる。(奥井浩さんがモデル。小人症だったそうだ)
ドラマ版では「イソップ」(高野浩和氏)、映画版と光文社版、幻冬舎版では「フーロー」(尾上寛之氏)とあだ名される部員。
彼はボール磨きを進んで行う。(7話〜13話、画像は13話)
「京都一のワル」をラグビー部に誘う照英氏。腹を立てたワル(小林且弥氏)が照英氏と川でケンカを仕掛ける。
川でワルをボコボコにする照英氏、帰宅して一緒に風呂に入る。
ここ、ドラマ版では第6話の水原(小沢仁志氏)が担当。
つまり、大木大助(松村雄基氏)がこのシーンだけ突然水原(小沢仁志氏)になる。
自分は「いきなり大木が水原じゃねえか!」と猛烈に突っ込んだ。
なお、ドラマ版では滝沢の妻・節子(岡田奈々氏)は娘を連れて実家に帰っているが、映画版ではその下りはカット。
(光文社版、幻冬舎版には離婚危機の話は出てこないので、おそらくドラマ版架空のエピソード)
風呂から出ると山上の娘に「しんごくん、たべなさい」と誘われて心が動くのだが、小さい子どもでハッとするのはドラマ版では大木だった。
(7話。シチュエーションは全然違うけど。)
この数分、小林且弥氏は大木になったり水原になったりで忙しい。
強豪校に100点以上の点差で大敗。ドラマ版は0-109、映画版と原作は0-112。
ドラマ第8話の伝説のシーン。
(ドラマ版が109になってるのは、9話の坂上二郎氏の台詞「除夜の鐘だって108つですよ」を考えてのことだろう)
試合後「お前達、悔しくないのか」「お前ら、ゼロの人間なのか」と問い掛け、小畑さんをモデルにした森田、小渕が「悔しい!」と第一声。
その後部員全員を殴り飛ばす。
「今日の悔しさを忘れるな!」
ドラマ版はさんざんためにためて「悔しいです!」で、主題歌のメロオケをバックに殴るシーンが感動的。
映画版は尺の都合かあっさり泣き崩れて、淡々とした音楽の中次々照英氏が殴り続ける。
怖ぇーよ、逆によぉ。
練習試合当日、ワルに弁当を渡す。(ドラマ10話)
原作にもあるエピソード。
不治の病に倒れるイソップ(フーロー)。
モデルの奥井浩さん、ドラマ版は脳腫瘍、映画版はなぜか白血病に変更。
イソップが倒れたのは9話ラストで、病気の判明が10話。亡くなるのが13話で、葬儀が14話。途中総集編もあり、9話から14話まで7週間引っ張った。
実は伏見工業の赤と黒のユニフォームは、奥井浩さんがウェールズ代表のマスコットジャージと、伏見稲荷の鳥居をモデルにデザインしたもの。
このエピソードはドラマ版第10話ラストで活用され、イソップは、病床で描いた川浜の新ユニフォーム「ライジング・サン」を提案する。
(第1話のアバンタイトルの全国大会決勝戦直前シーンと、タイトルバックの実際の決勝戦で赤黒ジャージが使われており、そのせいか終盤クリーニング店の火事でライジングサンユニフォームは焼失する設定)
映画版は病床で全国大会優勝を願う絵画を描いてたという話に変更。インパクト弱いなあ。
亡くなったイソップ(フーロー)の遺体にジャージを掛ける。(ドラマは14話)
ドラマ版は棺の中、映画版は病院の霊安室になっている。
なんか立ち位置やカメラアングルが微妙に違うだけでほぼ同じだと思ったりしてはいけない(戒め
この映画、結局の所「方針が不透明」なのが本当に惜しい。基本的なエピソードはドラマ版と共通にならざるを得ない以上、ドラマ版に対してどういう姿勢で対峙するのかというのが見えてこなかった。
最終的に高校総体決勝で優勝し、字幕で「その数年後には花園で全国優勝した」と補足説明があるのだが、赴任してラグビー部の監督になり、大敗して部員を殴り、ワルが入部して、不治の病の部員が亡くなるという筋書きは、完全にドラマ版1〜14話のダイジェスト版である。そして、1〜13話の総集編「これが青春だ」と、14話の約90分の方が尺は短いのに気分的には盛り上がるのである。
そう、テンションを上げるだけなら確実にドラマ版の方が面白い。そもそもドラマ版と決別するなら、エンドクレジットの最中ですら「ヒーロー」(歌は大黒摩季氏)を流す必要はない。主題歌の「ヒーロー」、タイトルの「スクールウォーズ」の時点で、ドラマ版との決別は諦めたと言っていい。ところが、テレビCMでは「ヒーロー」を使っていながら、本編のクライマックスでは流さない。これでは看板倒れである。ラグビーシーンでは、あまり音楽を流さず、ただ足音と息づかいだけなので冗長に感じる。俳優陣はラグビー経験者ではないのだから、どう頑張って撮っても限界がある。そんなに試合のシーンを引っ張っても、大して面白くない。ここら辺、ドラマ版はちゃんと分かっていて、菊池俊輔氏の劇判音楽と芥川隆行氏のナレーションで盛り上げており、印象が違いすぎる。せめて決勝戦でトライを決めるあたりから「ヒーロー」が欲しかった。
もちろん、ドラマ版と同じ台詞だからダメだとは言わない。編集はダメだと思うし、選曲担当は分かってないと思うし、劇判担当も分かってないなあと思うけれど。ただ、もっとダメなことは、山口良治さんやその教え子たちから感じる情熱とか、(あんまりそういう言葉は使いたくないが)絆とかが光文社版、幻冬舎版、ドラマ版で共通の本質だった。映画版ではその本質が見失われた気がしている。つまり、ドラマ版を真似てはいけないところでドラマ版をなぞっているし、ドラマ版から変えてはいけないところで中途半端に変えてしまった。はっきり言うと、「生徒を信じること、信は力なり」「相手を信じ、待ち、許す」という山口良治さんの教育方針がぼやけてしまっているからダメなのである。
確かに「信は力なり」はドラマ版でもさんざん使われたフレーズで、そこを使いたくなかったのは分かる。だが、むしろそこだけは絶対に変えてはいけない文言だった。最後の最後まで「信は力なり」が前に出てこなかったのは本当に残念だった。これは監督、脚本、プロデューサー、いずれも原作への理解と敬意が足りないと言い切りたい。
構成としては、ドラマ版に出てこなかったエピソードの方が面白かった。まず、大阪府の高校と練習試合を組むが、部員がボイコットしてこないところ。これは光文社版では割愛され、プロジェクトXで描かれたシーン。惜しいのはボイコットされた後。山口良治さんによれば、その晩はその高校の監督だった大学の先輩と飲みに行き、「辛抱せえよ」と励まされ、涙がビールにこぼれ落ちて涙割りのビールを何杯も飲み干したそうだ。映画版は帰宅後、妻の前でビールを飲んで愚痴ってくだを巻いているので、いい話が半分くらいになっている。
大敗した日の晩、試合会場で照英氏、和久井映見氏が語り合うシーン。ここはこの映画で一番良かったところ。理由はドラマ版や原作とは異なる言葉で作り手(脚本、監督)の考える教育への思いが語られること、そして2分間ワンカットの長回しによる独特の緊張感。ただし、この次のシーンがこの映画でも特に残念なシーンなので、その余韻が吹っ飛んでしまう。
小林且弥氏演じる後藤信吾(別名「弥栄の信吾」)が教師になることを報告するシーン。ドラマ版は大木は東北製鉄に就職しているし(え?運送会社を立ち上げて社長になり、少年院内の高校教諭になった滝沢を支えるコーチになった?そんな作ってはいけないPART−2ドラマは黒歴史だぞ)、「あの京都一のワルが教師になった」インパクトは大きい。そしてモデルの山本清悟さんも教師になっている。大木がああなったのは、光文社版ではまだ教師になっていなかったことと、そもそも大木は山本さんの他、山田英明さん、大八木淳史さんが加わったキャラクターなのである。
個人的には尺から考えても山上と後藤をメインに映画にしておくべきだったと思っている。あの不良少年の中で最も意外な、かつ衝撃的なその後は山本清悟さんしかいない。山本さんに関しては、他にも魅力的なエピソードがあったし、小林氏の演技も素晴らしい。特に目つき。だから本稿では映画版を各シーンで見返したが、「あそことあそことあそこを直せばすごく良くなったよな」という、「もったいない映画」だったという評価は変わらない。
また、後藤信吾の父は、間寛平氏が演じているのだが、これが抜群にうまい。
と言うか怖い。
登場からしばらくはひたすら無言で酒を飲んでいる。全く目が笑わない。「そりゃこんな父親だったら息子は非行に走るだろう」という説得力が大きい。
映画版は、製作委員会に吉本興業が関わっており(松竹なんだから松竹芸能を使ってやれよ)、中川家の剛氏と礼二氏、間氏、井田國彦氏(2004年当時所属)、そして宮川花子氏が出演。宮川氏は、ドラマ版で和田アキ子氏が演じた料理屋のおかみさん役だが、ドラマ版は中華料理屋に対し、映画版はお好み焼き屋になっている。宮川花子氏は和田アキ子氏に雰囲気が近く、違和感はない。ただ、ドラマ版の相方である梅宮辰夫氏に相当するキャストがいないので花子師匠の味わいが足りず、ちょっと勿体なかった。
この映画は前述の通り、残念でもったいない映画である。原作の本質がぼやけたこと、脚本の構成が残念だったのもあるが、他にも残念な理由がある。里見浩太朗氏の扱いである。基本的に顔だけ、あるいは限られたキャストと一緒の別撮りが多かった。開始から44分過ぎの卒業式シーン(というか卒業式は会場の外だけ描かれた。式典の場面はエキストラが必要だからねえ…)以後台詞を一切話さなくなる。
最後には不自然に合成されて出てくる。
これ以外だと大敗する試合の冒頭、別撮りで一瞬顔だけ映るが、試合後照英氏が部員を殴る場面では特段止めることもなく(というかいたはずの関係者テントから里見氏だけ消えている)、その後のシーンで体罰を理由に1ヶ月謹慎という張り紙だけが出てくる。そもそも映画版は冒頭で中川家剛氏が火を着けられた後で生徒を叩いているが、その時は謹慎になっていない。光文社版ではむしろ「どんどんやれ」みたいな話になっている。ドラマ版は16話で名古屋章氏演じる2代目の校長が1週間の謹慎処分にしているが、あれは「謹慎させて休ませる」方便だった。最後まで里見校長が何も喋らないので、映画として非常に締まりの悪い構成になっていると言えよう。
推測だが、里見浩太朗氏が多忙で、多忙の理由は2002年頃から始まった太秦経由で越後のちりめん問屋の隠居として全国漫遊の旅に出ていたことが関係しているのかもしれないと思っている。
ドラマ版だと下川辰平氏演じる初代校長・山城と度々2人で酒を飲み、熱い思いを交わしている。画像は14話。
フーロー、ドラマ版のイソップも残念ポイントだった。みんなの足手まといだから部を辞めるという申し出に、「お前は立派なラガーマンだ」と言う。ここまではドラマ版と共通。ところが映画版ではフーロー自身が「では、せめてマネージャーをやらせてください!」と言い出している。幻冬舎版では、山口良治さんによれば、はじめは他の部員と同じように走ったが、1周くらいでダメだったのでその後はマネージャーみたいな仕事をさせていたという記述がある。光文社版でもフーローを一人のラガーマンとして扱っている。「選手にはなれないからマネージャー」を本人が申し出るのは残念すぎる。最初からマネージャーにしたお陰で、後藤信吾に「いつか君は日本代表になる。僕は記者として君の記事を書くんだ」というセリフも浮いてしまう。ドラマ版ではイソップが大木に選手として果たせなかった夢を託すので、なおさらである。このシーンはこの直後にフーローが白血病の症状が出て自転車をこぎにくそうな様子を見せるのだが、後藤は特に心配するでもなく無視して先に行ってしまう。後藤、どんだけ嫌なやつなんだよ。大木だったら「イソップ、大丈夫か!?」とか言って抱きついてるぞ。脳腫瘍から白血病への原作改変もこのシーンくらいくらいで、特によかったとは思わない。むしろ、なぜ幻冬舎版でも「脳腫瘍」と書かれている部分を白血病にする必要があったのか理解できない。
ドラマ版第9話より「お前の決めるゴールキックは、イソップのゴールキックだ」のシーン。
実は大木(松村雄基氏)の方がミスキックしており、イソップ役の高野氏の方が綺麗に蹴っている。
そもそもイソップ役の高野浩和氏は懸垂ができた…というか運動ができたのである。
懸垂ができるのにわざとできない演技をするのに苦労し、7話の懸垂シーンは手にベビーオイルを塗って演じているそうだ。
最後の残念ポイントが、ハカが滑っていたことだ。ハカが出てくるのは冒頭以外だと2回。まずは謹慎になった山上を部員全員が呼びに来るシーン。山上のアパートの前でハカを踊り、部員達が「オレたちにラグビーを教えてくれよ!」とせがむ。これに感動し、「謹慎がナンボのもんじゃい」と照英氏は泣きながら謹慎を破ることを決意する。光文社版、ドラマ版だと謹慎していない。当然ハカの話も出てこない。映画オリジナルの脚色なのだ。映画独自の展開が滑ってるのだから目も当てられない。
ドラマ版は教育委員会の教育長(塚本信夫氏)から厳重注意されている。光文社版でも教育委員会に告げ口されたことが出ていた。それが焦りとなり、技術ばかり教え込もうとして心や精神面を教えてこなかったがために部員と衝突。山口良治さんは葛藤があったと語っている。ドラマ版9話では大胆に脚色され、飲み屋で山下真司氏、坂上二郎氏(内田玄治)、梅宮辰夫氏(下田大三郎)と語るシーンは8話の熱さを踏まえて、さらに熱くさせる名シーンになっている。
下田「安心したんですよー。先生も俺たちとたいして変わらない普通の人間だってわかって。先生、あンた神様になろうとしてるんじゃねェんですか?」 滝沢「神様?」 下田「そう。何もかも悟りすました神様にね。冗談じゃねェ、そんなこと出来るわけネんだ。いいじゃないすかぁ?怒鳴りたい時、怒鳴って、ぶっ飛ばしたい時にぶっ飛ばせば。ただ、自分が間違ったとわかったら、素直に謝りゃいいんすよ。あのボロ負けに負けた試合の後で、あンたが子供達ぶっ飛ばした時、あの子達、反抗しましたか?逆に先生についてきたじゃねェですか。あいつらはあンたの涙の中に、あンたの心を見たんだ。」 滝沢「下田さん…」 |
もう一つのハカは、フーローの出棺の場面。ハカは葬送の踊りでもあるので悪い選択ではないのだが、ハカの最初「カ・マテ カ・マテ」がどうひいき目にしても「頑張って、頑張って」に聞こえてしまう。そして、ある世代から上にはこのハカの歌詞は栄養ドリンク「グロンサンDX」のCMのフレーズなのだ。というか、当時ドラマ版を見ていた世代は間違いなく覚えてるはずなので(CMは1991年オンエア)、おそらくドラマ版を見ていた人が喜んで映画版を見ると「頑張って、頑張って、仕事!頑張って、頑張って、遊び!DX!DX!」と叫んでいる田中実氏や高田純次氏が連想されてしまうのである。
ハカが全くダメというわけではないが、ハカを使うならなぜ使うのか、どうして使ったのかが伝わるようにして欲しかった。
素材は良かったのだ。脚本の構成次第で良い映画になったはずだ。だがそうはならなかった。はっきり書くが、良い映画ではない。惜しい映画である。ベテランスタッフが作ったにしてはダメな映画である。作り手の意識の低さ、あるいはしがらみなのか、事情なのかは分からないが、「惜しい映画」で終わってしまった感がある。なぜこうなってしまったのか、近年頻発する「アニメの実写化映画」に比べればマシな映画かもしれないが、この映画がこうなってしまったことは、近年の邦画の問題とも共通する問題のはずである。
映画を作る仕事を続けるために、何かとりあえず当たりそうで出資者が集められて映画になりそうな題材はないのか。そういうスケベ根性で「スクール☆ウォーズ」が選ばれたのだとしたら、ファンとしてこれほど残念なことはないのである。
おまけ
ドラマ版・映画版配役対照表(敬称略)
ドラマ版 | 役柄 | 映画版 |
山下真司 | 主人公の教師 | 照英 |
岡田奈々 | その妻 | 和久井映見 |
宮田恭男 | 留年するキャプテン | 内田朝陽 |
鈴木秀一 | 山口翔吾 | |
松村雄基 小沢仁志 |
地元一のワル | 小林且弥 |
岩崎良美 | マネージャー | 神田沙也加 |
高野浩和 | 病死する部員 | 尾上寛之 |
下川辰平 | 校長 | 里見浩太朗 |
佐原健二 | 教頭 | 河原崎建三 |
大石吾朗 | いじめられる教師 | 中川 剛(中川家・兄) |
谷村昌彦 | やる気の無い教師 | 中川礼二(中川家・弟) |
三浦浩一 | 主人公の理解者の教師A | 井田國彦 |
小川隆市 | 主人公の理解者の教師B | 石田弘志 |
北村総一朗 久保田民絵 |
病死する部員の親 | 原 日出子 |
沢柳廸子 新橋耐子 |
ワルの親 | 間 寛平 |
塚本信夫 | 教育長 | 船越英一郎 |
和田アキ子 | 飯屋のおかみさん | 宮川花子 |
麻倉未稀 | 主題歌 | 大黒摩季 |
映画版でカットされた役柄に相当するドラマ版のキャスト 伊藤かずえ、鶴見辰吾、宮田州、丸井大福、高野真二、内藤武敏、福田豊土、名古屋章、坂上二郎、梅宮辰夫 |
毎度ご無沙汰しております。実はちょっと体調を崩しておりまして、長らく伏せり、その後の後始末でバタバタしておりました。例のアレではなくて、腸炎とか胃腸風邪と呼ばれるやつなんですが、今回は非常にひどい目に遭いました。
8月下旬でした。はじめは、昼過ぎです。仕事中に気分が悪くなりました。この時点では私も周囲も軽い熱中症だと思いまして、スポーツ飲料に麦茶にと飲んで、回復したところで半休取って帰宅しました。午後6時に腹痛と悪寒がするので目が覚めて、なんだか熱っぽいので体温を測りました。38度ありました。トイレでは下痢。この時点で頭をよぎったのは例のアレ、すなわち「新型コロナウイルス感染症」です。
ずっと自粛してたんですよ。飲み会はおろか、映画館、劇場はもちろん、スポーツジムも再開されてから行ってないし、混みそうな所は基本避けてました。こういうときぼっち耐性ついてる人は強いですよ。早寝早起きも徹底してました。だからこのサイトも書いてなかったんですよ。もの書くと遅寝になるから。それでもかかる人はかかると聞いてたんで、「やべえ、やっちまった」と思いました。とりあえずまだ受診時間内だったのでかかりつけの内科に電話をしたんですが、断られました。理由は別のことを言われたんですが、裏側にあるのはもちろん「例のアレだと困る」です。とりあえず会社に電話をして、明日以降の欠勤を伝え、保健所に電話をかけました。
新型コロナウイルス感染症の症状に該当する部分では、「急な発熱(38度)」「下痢症状」「強い倦怠感(だるさ)」の3つがありました。一方で「咳」「鼻水」「のどの痛み」「息苦しさ」「味覚や嗅覚の異常」がありません。とはいえ、報道や報告では「症状のない患者も多い」「発熱だけの患者がいる」ということも念頭にありました。
保健所は、ネットで「200回かけてもつながらない」という噂だったので無理だと思ってたんですが、あっさりつながりました。ただ、保健所の方からは「まずはかかりつけの診断から」ということで今夜は動けないとのことを言われました。一応、やや近所(車で10分弱)のところに急病人受入先があり、そこで診てあげてもいいが、そこには本物の陽性者がいてそこで院内感染する可能性があるよと言うのでその夜は受診を断念しました。保健所の方には「診てないから言い切れないけど、コロナではないと思うんですよね。解熱剤ですが、イブプロフェンは飲まないでください。ロキソニンは飲んでもいいです。」と言われましたが、38度の熱に下痢がある以上「コロナじゃないならなんなんだ」と冷静ではいられませんでした。そして不幸にもロキソニンは我が家に常備されていなかったのです。
そこからはもう、下痢との闘いでした。何がつらいって、就寝時間でも下痢が続くんですよ。横になるけど、1時間から2時間まどろんだところで喉の渇きと便意が来て、水飲んでトイレ行って、コーヒーみたいなどす黒い液体を肛門から吐き出してまた寝るけどもう寝られない。寝られないと当然色々考えるわけですよ。「コロナだったら死ぬかもしれんなあ」「仮に助かっても、後遺症があると聞く。前のように仕事もできないんかなあ」「せっかくこつこつ筋トレしたのに、またリセットかぁ…」とかねえ。
よく入院すると今までの人生を振り返るとか聞いたんですが、今回は「仮に死ぬとして何が心残りになるか」を考えました。仕事でやり残したこと、このまま死んでこういう迷惑をかけるかなとか、個人的にやりたかったこと、こういう約束があって果たせてなかったなとか…。もっと前にできてやらなかったこともあるし、本当にできなかったこともある。僕の資質に関わることもありました。友人にLINEで「今まで済まなかった」「感謝している」と送るか真剣に考えました。今夜のうちに容態急変したら助からないと思ってましたし、コロナだったら入院先にスマホ持ち込めそうになかったんですよね…。保健所の方には「深夜に呼吸困難など容態急変したら119番していいですよ」とは言われましたが、果たして私一人しかいない状態でできるかどうか、不安で仕方がありませんでした。だからこそ、翌日の朝を生きても迎えられたときは「よかった、生き延びた」と思いました。
会社に生きてることを伝え、仕事のスケジュールを伝達。継続中の案件を大まかに伝えましたが、その後もうんうん唸ってる最中にLINEがバンバン来て打つのが大変でした。高熱が出た状態で脳みそをフル回転して仕事の指示を出すのは難しいですね。そもそも風邪気味の状態でテレビやスマホはよくないので、TwitterやFacebookはチラッとは見ることもありましたが、書き込みはもちろん、リツイートなども控えました。そもそも何読んでも字が入ってこないんですよね。文字は読めても、内容が頭に入らない。何をリツイートしていいかどうか判断できないんですよ。実はやっと起き上がれるようになった日に安倍晋三首相が潰瘍性大腸炎で辞意を表明しましたが、確かに体調が悪いだけで思考にノイズが入るんですね。安倍首相の政治姿勢に賛否があるのはともかく、地位に拘泥せず「まだ正常な思考ができるうちに辞意を表明する」というのは間違ってはいないと思います。
熱は38度変わらず何ですが、こんなに高熱があるのに汗が全く出ない。今までそういうのあったかなあ、いや、ないなあ。朝9時になり、診察開始時刻なんで息も絶え絶えにかかりつけに電話をすると「高熱患者は正午から診るから」と言われて待たされることになりました。今回強調しておきますが、とにかく今のご時世、体調崩すと医者に診てもらうまでの関門が大きいんですよ。2日目の正午って、発症から18時間経過ですからね。2日目も下痢が続き、へろへろでした。
正午過ぎにやっとかかりつけの町医者に診てもらいましたが、途中で下痢が出そうになるなど命がけ。医者の方もスタッフ全員凄まじく頑丈なマスクにゴーグルにゴム手袋で厳戒態勢でした。「ああ、昨日断られた理由って、こういう準備ができないからなのかあ…」と思いました。最初から「新型コロナウイルス感染症の確定診断は当院では不可能」と確認された上で診察されて「うーん、グレー、だねえ」と言われました。そもそも夏風邪と新型コロナウイルス感染症が似ているし、報告されている症状と似てるからだそうです。「5日間続くとコロナかな。今日2日目なので、あと3日間様子を見てください。」
ここからは寝てトイレ行っての繰り返し。食料と水は親族に玄関まで持ってきてもらって取り込むという置き配で対応しました。AmazonならぬMamazonです。これができたから助かったけど、できなかったら詰んでました。4日目くらいに熱が下がり始めたので「ああ、アレじゃなさそうだな」と思ったんですが、下痢だけは続いたので起き上がるのがしんどかったですね。5日目に完全に熱が下がり、下痢も治まってきたのでかかりつけに電話をかけて「たぶん違うね」ということで整腸剤をもらいました。
表題の通り、「胃腸炎」だと思うのですが、結局原因が特定されていないんですね。理由は、どういう種類(ウイルス性、細菌性、その他)の胃腸炎にせよ、基本的に共通の対症療法しかないからだそうです。早い話が、どういう原因だろうとやること一緒だから調べる意味がないということです。そのやることと言うのは、整腸剤飲んでヨーグルト食べて安静にして寝て、下痢を出し切るだけという大変シンプルな方法でした。5日目くらいになると余裕も出てきて、トイレットペーパー、ピュアパルプにしておくべきだったなあって思うときがありました。
その後は2日ほど静養しました。今出てきてまた変な病気拾ってどうするっていう不安もありました。翌週から仕事復帰したんですが、まだ残暑が厳しく、体力的な不安は大きかったですね。復帰初日に一日仕事しきったときはホッと安堵しました。
とはいえ、そこで終わるわけがないんですよ。まず体力。1週間寝込むと筋力が落ちるというのは本当ですね。上半身の筋力はそこまで落ちなかったんで、腕立て伏せの回数は減らなかったんですが、足腰は落ちました。以前と同じようなスクワットをするとすぐ体が悲鳴を上げるという。心肺機能も落ちたので、運動継続時間が減りました。というわけで、SNSに復帰してる場合じゃなかったんです。そんなヒマがあったら隙間時間に運動する必要がありました。
また、仕事も重要でした。1週間休んでも、仕事は誰も肩代わりしてくれないんですよ。優先度の非常に高いものだけは終わってたんですが、仕事は山積みでした。机があるだけまだマシでしたけれども。そうなると、できるだけ素早く仕事を片付けつつ、運動もすることになるわけです。これ言うのは簡単ですけど、やるのは難しいですよ。結局、最終的には「持ち帰ることのできるものは風呂敷残業」でした。時には寝床に入ってからでも書類に目を通した日がありました。数年前にもインフルエンザで休んだことがあったんですが、あの時とは立場が変わってしまいました。年は取りたくないですねえ。
その頃、ふっと気付いたことがありました。Twitterにせよ、Facebookにせよ、Instagramにせよ、SNSに接する時間が少ない方が精神的に安定するのではないか、ということです。こういうご時世、どうしても不安とか恐怖みたいなものを意識、無意識問わずに感じているとき、情報過多は余計に不安が増えます。また、どうしても思想の左右を問わず、過激な人の物言いが目に入ることが増えてきました。それはTwitterだけに限りません。世の中のニュースを引用して「お前に一言物申〜す!」とか、誰かの発言を引用しながら攻撃的なコメントをする。Twitterにせよ、Facebookにせよ、そういう人が一人とか二人ではないんですね。一人くらいならフォローを解除すればいいんでしょうが、あまりにも多いんです。また、そういう人が常に攻撃的かというとそうでもない。ある瞬間攻撃的になる。
おそらく、私も一緒に乗っかって攻撃的なコメントをしていたのでしょう。そういうことをしていた自覚はあります。しかし、一休みして久しぶりに接続したとき「ああ、そういうことから距離を取った方がいいかもしれないな」と強く感じました。そういう攻撃的なコメントをしたところで、何か不安とか、大波に荒れる精神が落ち着くとは思えなかったのです。実際、今、これを書きながらちょっとTwitter、Facebookを覗くと、凄まじい罵詈雑言がいくつも目に入りました。そういうのを見て、少し動揺している自分がいるわけです。(Instagramはと言うと、ほとんどフォローしてないし、見ていないので…おそらくフォロー数が増えて荒れたコメント欄を見たら同じだと思います)
TwitterやFacebookを敢えてやらなくなったところ、本を読む時間が増えました。さすがに一日何時間も読むわけにはいきませんし、ほとんど新書ですが、これまでよりも多くの積ん読を既読にできました。調子に乗ってまた本屋に古本屋やブックオフへ行って積ん読自体は増えてるんですが、これはこれで有意義な時間の使い方なんじゃないかなと思うようになりました。
そして、倒れたときにふっと「このまま死ぬのかな」と思ったとき、「生きるとは何だろう?」という疑問が湧きました。アンパンマンじゃないんですけど、「何のために生まれて何をして生きるのか、答えられないなんてそんなのはイヤだ」というのがしっくり来るのかもしれません。この1ヶ月に多くの訃報に接しましたが、それは同時に「生きるとは何か」という言葉に集約されていく気がします。そういうことを考え出したときに、古書店で「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」(名越康文・著 PHP新書)という本を買いまして、読んでいます。当然その新書にその疑問の明確な答えがあるわけではないのですが、著者の方なりにその問いと明確に向き合ってらっしゃいました。調べていくとお釈迦様が出家された理由がずばりそれだったのだそうです。そういう意味では、相当難しい問いにぶつかってしまったと言えましょう。
もう金輪際TwitterもFacebookもやらん!とまでは言いませんが、時間の使い方を有意義で前向きにするためには、そういうものを少しずつ減らせるようにした方がいいのかなと思っています。もちろん、例のアレが収束したら、もう少しSNSも平和になると思いたいのですけれども…。ぶっちゃけ、Twitter漫画読むためだけ用のサブアカウントは作ろうかしらなんて思ってたりもしますが…。
もちろん、SNSで世の中に一言物申す!ってのもひとつの生き方だと思います。時間の使い方として私はやめようと思っただけで、みんなやめればいいとまでは思いません。実際、居酒屋に床屋にそういうオッサンは前からいましたからね。ただ、TwitterやFacebookだと、床屋で話してる内容にイイネ、とか言う承認もあれば、クソリプという突っ込みが入ることもあるってリスクもあります。クソリプもイヤだけど、イイネがつくのもそれはそれでちょっと気になる。そういうのはちょっとみっともない。ウェブサイトのアクセスカウンターを毎日見に行ってキリ番を自爆するようなもんです。
むしろSNS減らしたらここの更新頻度が上がるかもしれません。その場合、「仕事が忙しいから更新してない」のは大嘘で、書きたいネタをTwitterで垂れ流してたのが原因と言うことになります。さあ、どっちでしょう?
新型コロナウイルス感染拡大で、外出自粛が拡大する中、聞かれるようになってきた言葉があります。それは、
「太った」
です。
そらそうでしょう。出歩くと言うことは、少なからず立つ、歩くといった動きをするわけですから(もちろん、ほぼ自動車に乗ったままという場合もあるんでしょうが)、出歩かなければ自宅でごろごろ、あるいは座るか立つか。自宅の中を歩くと言っても、外の時のような歩き方ではないし、30分以上継続しませんから、体重が増加するのは当たり前です。
ただし、この体重増加がくせ者です。新型コロナウイルスでは、体重の重い人、すなわち肥満、有り体に言えばデブの人は重症化しやすいという結果が報告されています。もちろん、肥満だけでなく、糖尿病や高血圧、高脂血症も重症化しやすい…ってちょっと待ってくださいよ、糖尿病も高血圧も、高脂血症も、肥満が危険因子のひとつ(※)だったはずです。
※厳密に言えば肥満の関係ない糖尿病もあるし、肥満が関係しない高血圧があるのも承知ですが、ここは「肥満由来型」を想定してください。
糖尿病も高血圧も高脂血症も、あるいは肥満も、新型コロナウイルスだけに限らず様々な病気の原因となり得るものです。もちろん、ガンや心筋梗塞、脳卒中はウイルスや細菌による疫病のような他者への感染は起こしません。しかし、体重を減少させる、減らすと言うことは今後仮に新型コロナウイルス感染症が収束した後も、基本的には目指していく姿であると思われます。
ところが、「じゃあ体重を減らしましょう」というのが大変です。日本だとダイエット情報が氾濫しています。中には実践するとかえって健康を損なうようなものもあります。テレビ番組だとしばしば制作費の都合でトレーニングジム(ライザップかゴールドジムかコナミスポーツ)でロケするから、そこまで肥満でもないタレントさんが重いバーベルを担がされています。あれはダメなんですよ、膝を壊しかねない。あれくらいの年齢ならバーベル担がなくても有酸素運動と自重筋肉トレーニングで減るはずなんです。
とにかく忘れてはいけないのは、「体重を減らす」(そして筋肉を増やす)のだけれど、それは「健康を維持する」のが目的だと言うことです。つまり、「健康を保ったまま」「減量を行う」というのが大変重要になります。健康というのは、病気だけを指しません。ケガもそうです。筋トレは気を付けないとケガにつながります。
今回は、私が実際に体重を減らした経験をもとに、また外出自粛が続きながらなんとか体重を維持している(現在76.3kg)上で行っていることをまとめて、皆さんに「こうするといいんじゃないかな」という提案をさせていただきます。
1.生活習慣を見直す
体重減少のためには、まず生活習慣を見直す必要があります。どれだけ運動しても生活習慣がダメなら体重は減りません。まず絶対に必須なのが「早寝早起き」です。仕事によっては難しい人もいると思いますが、是非実践してもらいたいです。少なくとも「遅寝」で体重が減ったという話は聞きません。後で説明する筋肉の再生産も早寝早起きが関わります。
在宅中はどうしてもスマホ、テレビなどが増えると思います。スマホもテレビも活動量が少なく、かつ目の奥の筋肉に負担がかかります。つまり、スマホやテレビをやりすぎると、「体は疲れてないけど目が疲れてるから脳は、体が疲れてると判断する。」ことになります。そうなるとちょっと運動しても「もう疲れた、動けない」になりかねません。自宅の掃除や読書、プラモデル作りなど、スマホやテレビより目への負担の小さい活動を増やした方がいいでしょう。
食生活も重要です。「太るから食べる量を減らす」のは間違い…とまでは言いませんが、要注意です。必要な栄養から減りかねない。全体量の10〜15%くらい減らすのと、お酒、お菓子をやめるのはいいと思いますが…っていうか晩酌すると寝る前に後述するストレッチができないので今すぐお酒はやめてください。それからタバコも心肺機能を損なうので今すぐやめていただきます。あと、栄養素の中で油脂(脂質)は控えていきたいです。詳しくは専門書に譲りますが、
タンパク質は体内で炭水化物に変化させることが、さらに脂質に変化させることができる。
炭水化物は体内で脂質に変化させることができる。
脂質は何も変化させられず、そのまま体脂肪になる。
という性質があります。つまり、タンパク質は炭水化物にも脂質にもなるし、炭水化物も脂質になるんですが、脂質は逆方向には行かないんです。そのまま体脂肪になってしまうのです。
女性は割に皮下脂肪になるらしいのですが、男性はほぼ内臓脂肪になります。中年になると、腹が出てくるというあれです。ビール腹というのは、基本的に内臓脂肪が腹部に蓄積している状態です。これをいかに減らすかと言うことが重要なのです。ですから、食べる量は少しは減らす必要があります。食べる量が減れば、脂肪として蓄えられるエネルギー(カロリーが単位です)も減るからです。
じゃあタンパク質だけ食べておけばいいよ、というわけにはいかないんです。体脂肪は炭水化物がないと燃焼しないんですね。ただ、炭水化物にしてもご飯や蕎麦と、お菓子では吸収時間とエネルギー効率(1立方cmあたりのカロリー量)が違います。早い話、ご飯を100グラム食べたときと、おまんじゅう100グラム食べたときではカロリー量も、脂肪になる速度も違うと言うことです。また、ビタミン、カルシウムなどのミネラル分も重要です。
したがって、しばしばダイエット書に出てくる「何を食べるか」よりも「何を食べないか」が重要だと思います。家庭で出てくる「バランスよい食事」なら、タンパク質はそこまで不足していません。炭水化物と脂質が過剰の可能性はあります。外食やテイクアウトだとちょっと難しい。もちろん、それをやめろとまでは言いませんが、「この食事だとこの栄養素が多い、こっちは不足」という意識は必要だと思います。
取り立てて「この食品」と挙げるなら、牛乳や乳製品、豆乳や大豆製品、煮干しかなと思います。タンパク質とカルシウムを含みます。タンパク質がない人はサラダチキンでもいいと思いますが、ちょっと塩分が多すぎます。その場合、鶏のむね肉を蒸すとかゆでるかして食べる方がいいと思います。
ただし、牛乳はお腹を壊しやすい人がいると思います。乳製品、ヨーグルトはなるべく糖分の入っていないものを選んでください。豆乳は苦手な人もいる。鶏むね肉は調理法を間違えるとあんまり美味しくないです。煮干しは正直言って私も特に美味しいとは思いません。ただ、運動の際にカルシウムは必須なので、どうにかしてカルシウムを補うことは考えておいてほしいです。なお、自重のみの筋トレなので、プロテインは飲まなくていいです。私も飲んでません。栄養素もできるだけサプリメントはやめましょう。食品から摂ることで、噛む力(咀嚼力と言います)を維持することが大切です。
まとめると、在宅中の睡眠リズム、活動内容、食生活の見直しで体重の増加スピードは減らせます。ただし、これだけでは当然減りません。運動と言うことになります。
2.運動できるカラダを準備する
当然、生活習慣の見直しだけでは体重が減りません。運動が必要です。ところが、これが問題なんです。その人によって合った運動が全員違うんです。もちろん、入れ歯のような厳密さまではありません(※)が、LサイズのTシャツくらいのざっくりさで捉えられるとダメだと思います。
※本当は一人一人、入れ歯並みの運動設計が必要なんですけど、そこまで一人で考えるのは大変なので…
たとえば、年齢、性別、日頃から運動してる人、仕事が活動的な人、もともと柔軟性の高い人、体重と体脂肪の数値など、それぞれ事情が違います。その人に合った運動を、ということで少し前は「個別指導型運動」、いわゆるパーソナルトレーニングというものが話題でした。いつもだったら「お金がある人はパーソナルトレーナーの指導を受けてね」の一言で終わりでした。でも当然そこも自粛。そうなると自分で調べて作っていくしかないです。というわけで、この2節目は、「運動習慣がない」人向けです。
前述の通り、「健康を保ったまま運動する」わけです。運動したのはいいけど、心臓への負担(心負担)が大きすぎるとか、膝関節を壊しましたでは話になりません。運動習慣がない、あるいは運動は学生時代で終了した人、運動はしてるけど実は軽すぎ、少なすぎる人は「ある程度強い運動ができる体の準備をする」必要があります。
例えばプールで水中を歩いたり、軽く泳いだり、ジムでエアロバイクをこぐ…はい、自粛でできません。基本在宅となると、室内で行うわけです。そこでオススメなのがストレッチ体操(※)です。
※私は足首が硬いので、動的、静的ストレッチいずれも足首をしっかりほぐしてから行っています。
ストレッチには、「動的」「静的」の2種類があります。前者はラジオ体操などの反動もある、ダイナミックな動きです。ダイナミック・ストレッチとも言います。後者は柔軟体操など筋肉を緩やかに伸ばす動きです。スタティック・ストレッチとも言います。この2種類をうまく使うことで、室内でも運動できる身体が準備できます。
オススメしたいのは、ラジオ体操です。第一、第二に加え、テレビの「みんなの体操」も含めた3種類は関節への負担が小さく、かつ正しく行えば(※重要)そこそこの負荷を全身にかけることができます。「えー、でも、3つやってもたった10分でしょう」という意見もあるでしょうが、まずは10分を継続していきたいところです。というか、この3つをひたすら繰り返すことで心負担を小さくしながら運動が継続できます。
実は、ラジオ体操とみんなの体操は「連続でどこまでできるか」で運動できる身体の目安になります。運動強度は確かにそれほど大きくありませんが、2時間くらい継続して行えば確実に有酸素運動として身体に効きます。さすがに2時間継続はまだ私もありませんが(ないんかい)、1時間継続は何度かやっています。翌日在宅だけでも500グラム減ったので、筋トレ分を差し引いてもラジオ体操を長時間やることで、体重を維持することはできそうです。1時間継続するとさすがに汗をかきます。テレビでもNHKで連日放映されているし、YouTubeにあるというのも大きいですね。
静的ストレッチは、早い話が柔軟体操(※)です。ただ、全身くまなく行う必要があります。ですから、YouTubeなどで探すのがいいでしょう。ただ、ストレッチも負荷の大きい小さいがあります。いきなり高負荷のストレッチは筋肉を痛めるので、まず低負荷から始めましょう。私は古書でストレッチ関係の本を買いました。これも当たり外れがあるので、著者の経歴を確認してから買うといいです。また、あまり古い本は現在のスポーツ医学から合わない可能性もあります。ほどほどに新しいものを買われるといいと思います。
※ヨガでもいいんですかと聞かれると、ヨガはほとんどやってないので困るんですよね。全身を満遍なく、かつ心臓や関節に負担がかかりすぎないものならいいのではないかと思います。ホットヨガはたぶん心臓への負担が大きすぎるのでオススメしないです。普通のやつは、YouTubeにヨガ動画もあるので、今度試してみます。
静的ストレッチは入浴後、就寝前にじっくりゆっくり確実に行ってください。お酒を飲んでいると、ふらついてバランスが取れません。かえってケガをする可能性があります。伸びている筋肉を感じにくいという問題もあります。したがって、お酒は今後一切飲まないでください。健康と筋肉にお酒は不要です。ストレッチは毎日行う必要があるります。入浴後確実にストレッチをするために飲酒は大敵です。お酒が好きという人もいると思いますが、健康リスクと健康維持を天秤にかけてください。大丈夫です、筋肉トレーニングが好きになればお酒はすぐ忘れられます。
そして、心肺機能の上昇です。運動習慣がない場合、心肺機能も衰えています。心臓が血液を全身に送り出す、あるいは肺が酸素を取り込む。ラジオ体操だけでは機能の回復が遅れます。これは有酸素運動(エアロビクス)が必要です。膝に負担がかからず、比較的手軽に行えるのは、速歩だと思います。これは外出が必要ですから、マスク等でしっかり感染予防はして、人の多いところは避ける、熱中症や交通事故にも気を付けて行ってください。速歩なので、少し速いペースで歩いてください。できれば連続30分ですが、はじめは15分くらいでもいいと思います。ポイントは姿勢と足の出す位置です。背筋を伸ばす、大股で歩くなど、室内とは異なります。歩く際は足の指を意識するため、5本指ソックスがオススメです。外を歩くことで、ふくらはぎや足裏に刺激が行きます。在宅だけではどうしても難しいので、買い物など自動車ではなく徒歩で行くなど工夫をしてもらえたらと思います。
また、長時間徒歩が難しい場合は自転車で出掛けるという方法もあります。自転車は使う筋肉が徒歩とは少し違いますし、時間が長ければほどほどに心肺機能が強化されます。交通事故のリスクがありますが、そこさえなければ自転車もアリだと思います。
なお、心肺機能は長風呂(あるいはサウナ)では向上しませんから気を付けてください。体重も減りません。体重が減るのは水分が減ったからです。水を飲めば元通りです。むしろ心臓への負担を増やし、余計な疲労を大きくします。長風呂とサウナはかえって健康を損ないます。風呂は衛生面、あるいは就寝前の体温調整、静的ストレッチの準備など重要な要素ですが、へとへとになるまで長湯をするのは絶対に避けてください。
この動的ストレッチと静的ストレッチを組み合わせることで、筋肉がほぐれて柔軟性が高まり、関節の可動域が広くなります。速歩で心肺機能が向上し、運動の継続時間も延びます。これは人によって期間が異なり、半年以上かかる人もいるでしょう。ただ、これを続けることで体重増加にも歯止めがかかる可能性があります。やめたら孟母断機、元に戻るので、継続していきたいことでもあります。
3.筋力トレーニングを下半身から順番に行う
運動できる身体の準備ができたら、筋力トレーニングに移ります。筋トレとはいえ、バーベル、ダンベルなどは使用しません。ただ、ペットボトル(0.5〜2.0L各種2本ずつ)はあるといいので、厳密に言えば2kgまでのダンベルがあるとやりやすいだろうとは思います。ただ重要なのは器具よりフォームと筋肉への刺激です。
筋肉を鍛えるにはいくつか理由があります。筋肉を鍛えると基礎代謝が上がります。つまり、通常の状態でカロリーを消費しやすくなります。また、下半身の筋肉が血流をよくしてくれます。その結果、心臓への負担を下げられます。年齢とともに衰える筋肉を鍛えることで、姿勢を保ち、ケガを防ぐこともできます。
何より、食事制限をした有酸素運動だけでは、体脂肪は減りません。体脂肪は身体が「最後の備蓄エネルギー」としてため込んでいるので、なかなか使ってくれません。食事で得た炭水化物から使い始め、さらにはエネルギーが足りない場合は体脂肪よりも筋肉を優先して分解するのです。体脂肪から燃やせや!と思うのですが……。
つまり、筋トレをすることで「筋肉は分解するな、使っている。脂肪から燃やせ。」という指示を肉体に与えていく必要があるのです。運動しまくっても筋肉が落ちると、結果はそう、リバウンドが待っています。筋肉を鍛えればリバウンドはある程度防げます。筋トレが好きになると食事も生活習慣も筋肉を重視するようになるので、痩せた、はいお酒!お菓子!にはならないと思いますけれども。
まず行うべきはカーフレイズ、スクワット、ランジです。(詳しいフォームはその名前で検索すれば大量に出てきます。)
カーフレイズは早い話が「つま先立ち」です。ふくらはぎの筋肉を強化します。スクワットは大腿部と、臀部の筋肉強化します。ランジはその真ん中くらいかな。言葉で説明するのがめんどうなので調べてください。(何てやつだ)この3種類のバリエーションで下半身はほぼカバーできますから、ある程度できるまではカーフレイズとスクワット、ランジによる下半身強化をメインで考えてください。
下半身が特に重要なのは、下半身に全身の筋肉の多くが集中しているからです。筋肉が大きければ代謝も大きくなります。また、腕立て伏せ、腹筋、背筋なども自重トレをする場合は下半身の安定感がないと、つまり筋肉が仕上がっていないと効果が上がりません。他の筋肉をより効果的に鍛えるには、まず下半身の筋力を強くする必要があるのです。
※なお、スクワットは気を付けてください。股関節の可動域が狭いと、膝がつま先より前に出て、膝を痛めやすくなります。スクワットを浅くして、かつ曲げ伸ばしの時間を長くする「スロトレ」にすることで防止できます。詳しくは「スロトレ」で調べてください。
また、同時進行で膝を付けていいので腕立て伏せ(プッシュアップ)も行いたいです。腕立て伏せで鍛えられる筋肉は上半身です。スクワットとは重ならないのでオススメです。これも「腕立て伏せ」で検索してもらえれば大量に出てくるでしょう。大胸筋は筋肉量が多く、鍛えれば代謝も上がります。膝付きの腕立て伏せなら膝を痛める可能性は低い(腰は気を付けてください)ので、割に安心して取り組めます。
腹筋はクランチという寝転んで身体を起こすやつを、うまく行えるといいです。これも背筋と足腰が弱いと腰痛につながるので要注意です。プランクは最近流行ですが、個人的には疲れるだけで楽しくないです。それから、もも上げ運動でインナーマッスルの大腰筋も鍛えましょう。もも上げは椅子などを横に置けばバランスが取れます。膝への負担も軽くなります。
背筋群はできれば公園の鉄棒などで三角懸垂を繰り返すのが一番です。在宅の場合、自重のみではちょっと鍛えにくいですね。一応自重トレーニングもありますので動画を探してください。ペットボトルを使用するとトレーニングの種類が増えるので、空のペットボトルに水を入れれば手軽です。
これらはとにかく自重トレーニングの動画あるいは書籍で、自分にできるメニューを調べて、組み合わせていってください。できるようになれば回数を増やすとか、ゆっくり行うなどより大きな刺激に移行していきましょう。
さて、筋トレは「2日おきに」とよく言われますが、自重筋トレのみの場合はそこまで厳密でない感じがします。3日続けたら1日休むとかでも筋肉は強くなるんじゃないかな。あるいは、負荷が軽めの場合、維持がやっとなので毎日行う必要があるでしょう。続けてくると身体が負荷に慣れてくるので、回数を増やすとか、スロー&クイックを組み合わせるとか、常に新しい、強い筋肉刺激を与え続けることが大切だと思います。あと、筋肉の再生産には成長ホルモンが関係します。成長ホルモンは午後10時から深夜2時に最も活発に分泌されます。早寝早起きをすることで、筋肉の肥大化がより促進されます。筋トレは早寝早起きも筋トレですし、休むことも筋トレです。
それから、筋トレと平行して、必ず有酸素運動も行い続けてください。筋トレだけではあまり心肺機能が向上しません。また、筋トレだけだと動脈硬化が進むという研究結果もあります。筋トレの後、室内であればラジオ体操を繰り返す、あるいは速歩、縄跳びなどを行って有酸素運動をします。これによって身体にさらに追い込みをかけることができます。
筋トレは、努力した分の成果がはっきりと分かるので楽しいのですが、あくまでも「健康維持、増進」という目的を忘れるとあまりよくないことになります。具体的に言えば、ムキムキになるまでやるというのです。自重トレだけではムキムキにはならないんで大丈夫なんですが、オーバーワークはケガの元です。でも、あれ、気持ちは分かります。ただ、ムキムキになるまでやるよりも、バレリーナくらい、つまり普通の体型だけど、身体にはぎっしり筋肉が詰まっている身体を目指す方が健康には良さそうです。
それから、筋力トレーニングにせよ有酸素運動にせよ、運動前に動的ストレッチ、終了後は静的ストレッチでウォームアップとクールダウンを忘れずにやってください。
4.体調をよく考えて継続する
ここまで来たらあとは続けるだけです。仮に新型コロナウイルス感染症が収束したとして、今後も新しい疾病が流行する可能性はあります。運動習慣は健康維持、増進に効果があります。もちろん、体調の状況を見て、メニューを柔軟に変えていく必要はあります。
つまり、一言で言えば「筋肉は裏切らない」ということです。
運動は本来、気持ちのよいものです。体育が苦手だった人も、自分のペースで運動を続けてもらえたらと思います。
<おことわり> 筆者は、「人物名には敬称を付けて原稿を書く」方針を原則としておりますが、本稿は逆に読みづらい諸般の事情により、敬称略とさせていただきます。ご了承ください。
新型コロナウイルスによる感染拡大が止まらず、日本どころか世界全体で多くの死者が出ている昨今、マスメディアでも罹患者が増えて多くの番組収録が困難になっている。「ミュージックステーション」はしばらく総集編とのことで、Twitterで思わず「じゃあt.A.T.u.がドタキャンした回をノーカットで流してほしいなあ。」と冗談でツイートしたら、あれよあれよとリツイートされ、現在で2400以上。これまでで一番の「バズり」である。その後、「あの日何があったっけ」などと調べたが、あくまでも「記録」だけのことが多く、これは「記憶」も残すべきだと思い筆を執ることにした。
本稿はあくまでも、あの日とその後、私の周囲で何が起きたかということなので、基本的な事柄はWikipediaなどをご覧いただきたい。(←無責任)
ミュージックステーションの「t.A.T.u.事件」は、2003年6月27日(金)に起きた。2003年は今から17年前。当時は小泉純一郎政権で、「爆竜戦隊アバレンジャー」「仮面ライダー555」のほか、前年から始まった「機動戦士ガンダムSEED」ではちょうど2号ロボの「フリーダムガンダム」が登場した頃だった。また、この段階では「この秋、西部警察が復活!」という鳴り物入りで「西部警察SPECIAL」「西部警察2003」の制作が進んでいた頃でもある。まだ笑点では、林家こん平師匠(たい平さんの師匠)が毎週「1、2、3、チャラ〜ン!」とやっていた。
t.A.T.u.というのはロシアのアイドルデュオで、短髪ボーイッシュなユーリャと、長髪女性的なリェーナがメンバーだった。チェック柄のスカートに、胸をはだけた挑発的な衣装。これにMVでは女性同士でキスをするなど、レズビアンっぽい売り方がされていた。ただ、早い段階でネット上では「あれは商売でやってるだけで、実際は異性の恋人がいるらしい」とも伝わっていた。ただ、商売だろうと同性愛を前面に出した売り方は斬新だったし、何より思春期男子のスケベ心を非常に刺激した。男性的な女性と、女性的な女性の組み合わせも「あれはエヴァンゲリオンの綾波レイと、惣流アスカ・ラングレー(※)が元ネタではないか」などの話もしばしば出た。
(※今は式波アスカなのはもちろん知ってるので指摘しないようにしてネ☆)
2003年6月は日本では「今、世界で大人気のロシアアイドル」として話題沸騰で、来日コンサートが決定。そして、多くのテレビ局が折衝の末、「ミュージックステーション」にのみ独占生出演することが決まった。今考えても、独占生出演が決まった時点でテレビ朝日幹部は「これで視聴率はイタダキだ!」と鼻息が荒かったと思うのだが、その後に起きることを考えると気の毒である。
その日はビデオデッキで録画予約をしたせいもあるが、冒頭10分くらいを見逃した。見たいのは最初のトークではなくt.A.T.u.の生歌だったし、「(視聴率の目玉なんだから)どうせ最初に歌うことはないだろう」とタカをくくっていた。(妹はすでに見ていたので教えてもらうことになっていた。)午後8時10分過ぎにテレビの前に座った。スタジオでのトークでは後ろにいない。大物ゲストを感じさせた。この日はt.A.T.u.の他、Sowelu、今井絵理子、RIP SLYME、V6、そしてミッシェル・ガン・エレファントがゲストだった。8時20分が過ぎ、まだ出てこない。「CMのあと、t.A.T.u.注目の熱唱!」というのでCM明け注目するけれど、結局歌わない。「ははあ、視聴率稼ぎに利用されてるなあ。」そんなことを思いながら見ているうちに、8時35分が過ぎた。
おかしい。あまりミュージックステーション、Mステを見る人ではないが、8時40分過ぎには歌い終わらないとおかしい。CMのあと、8時50分くらいに終わりのトークがあって、8時55分には終わりの表示(エンドカード)が出るはずだ。まだ歌わないなんておかしい。普通は歌う前後にいろいろトークもするだろうし、何かおかしい。私は逆にテレビの画面を見つめだした。そして、t.A.T.u.以外の最後の歌手が歌い終わった。ADからの指示を聞いて、タモリと女性アナウンサーが切り出した。「えー、t.A.T.u.がですね、出たくねえと言って楽屋から出てきません。最初にスカートのことをいじったのが悪かったのか、リップスライムが腕にピロシキなんて書いてるのが悪かったのか。t.A.T.u.、今なら間に合うぞー!」
妹も私も顔を見合わせた。茫然自失。「ねえ、出てくるの?」と妹。「これは出ないんじゃないか。」と私。でも時間はまだ中途半端に残っている。エンディングトークだけでつなぐのは難しい。「t.A.T.u.出てこなかったねー」「そうですねー」ではどうにも格好が悪い。かといって誰か歌うにしても段取りがないだろう。どうするのか。
CMが明けたとき、タモリが言った。「やっぱりt.A.T.u.は出てきませんでした!急遽、ミッシェル・ガン・エレファントにもう一曲歌ってもらいます。」そして、ミッシェル・ガン・エレファントが「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」なる曲を歌い始めた。これがとんでもなくかっこよかった。出演者からスタジオまで、ライブハウスのような盛り上がりを見せた。そしてエンディングトークはなかった。激しいロックサウンドのまま、その日のミュージックステーションは終わった。
慌てて録画を戻してはじめから、一切早送りせず見直した。冒頭は登場し、タモリの「そのスカート…丈が短いですねえ」「じゃあもっと短くしましょうか」「いやいや…」という会話があった後、確かにスタジオには出てこない。RIP SLYMEは腕に「ロシア娘」「ピロシキ」と書いてるメンバーがいた。(余談だが、その後ここのメンバーが大塚愛と結婚したときに、「ああ、あの時の人たちか」と思った。その後離婚したときも、同じことを思った。)
ミッシェル・ガン・エレファントはその日が初出演。タモリが「どうですか、出てみて。」と尋ねると「いや、そもそも歌う順番が違うし…」とぼやいた瞬間、タモリや、後ろの方にいた長野博(V6)が笑って「ねえ、いろんなことあるよね、生放送」と笑い合っていた。つまり、その段階でもう、t.A.T.u.に異変が起きていたのだと思った。
この日、ミッシェル・ガン・エレファントが通常の方で歌った曲は、あまり印象にない。あの当時はロックバンドが大勢いてピンとこなかったからかもしれないし、会社が売りたい曲だったからかもしれない。だから妹と「最後の曲の方がかっこよかったねえ。」なんて話をしたことを覚えている。(この後、このVHSビデオテープは大学のサークルで友人と見た。ビジュアルバンドに詳しい友人が「これ、ミッシェル以外カラオケ音源だから、生演奏できたのミッシェルだけじゃん。ミッシェル呼んでてよかったね。」とつぶやいた。とても納得がいった。なるほど、バンドはこういう良さがあったのか。)
しかし、とにかくミッシェル・ガン・エレファントがかっこよかった。これは友人全員が同じ意見だった。「この会場にいたら、盛り上がったな」そんな話をした。t.A.T.u.がドタキャンをした日、それは別の言い方をすれば、ミッシェル・ガン・エレファントが大ブレイクをした日でもあったんだろう。実際、週刊誌でもミッシェルを絶賛する記事が多く出た。これからミッシェル・ガン・エレファントは人気バンドになっていく。そんな気がした。
だが。
その年の9月、新聞に「ミッシェル・ガン・エレファント解散へ」の文字があった。驚いた。あの「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」から2ヶ月ちょっとしか経過していない。結局、10月半ばのライブで解散し、あのMステから3ヶ月半でミッシェル・ガン・エレファントは姿を消した。
だから、自分の中でミッシェル・ガン・エレファントがいたのは4ヶ月無い。だが、あの日、あそこで演奏した曲のかっこよさと、それを見て感動した思いはずっと残っている。そして、肖像権とか著作権とかの都合で無理なのは分かっているが、あの放送をノーカットで見直したい理由、それは「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」までの過程をもう一度追体験したいからだ。そして、多くの人が、あの盛り上がりまでの時間を私と同じようにもう一度見たかったから、あそこまで拡散されたのだろうと思っている。
……いや、あの、やっぱり、無理でしょうけど、ノーカットで見たいなあ?
今から12年前、2008年に就職したとき、体重は59kgでした。その後、ストレスでお菓子を食べ過ぎ、どんどん体重は増え続け、一時期76kgにまでなりました。これが6年前です。その時、プールに通って1ヶ月でに72kgまで落ちました。そのとき、私はこう思いました。「ダイエットなんてチョロい。プールで泳げばすぐじゃん。」その後、またお菓子の食べ過ぎが発生し、2018年6月、ついに体重は90kgにまで到達してしまいました。ズボンの大半がはけなくなり、周囲から「太ったねえ」「肥えたねえ」「中年の仲間入り」とぼろくそに言われる日々…。周囲に太ったと言われるのはともかく、実家が糖尿病家系だったんで、さすがに家族が心配をし出しました。私も太りすぎで腹がつっかえてプラモが作りにくくなり、じゃあプールに行くかと前と同じようにプールに行ったんです。8月です。4年ぶりでした。ところがどっこい、体重増加と加齢による心肺機能の減退で、泳ぎ続けることができなくなっていました。うっひゃあ!4年前、2014年の夏には一度行けば2時間、3時間平然と平泳ぎができたのに、1時間も泳げば「もう帰りたい」と思い、90分泳いだ時点で足がつる。これはまずい。
今回は、2018年12月から2020年3月まで、15ヶ月(1年3ヶ月)で15kg減量が成功し(もちろんまだ減量は進めています)たので、その過程をまとめておきたいと思います。なお、これを書き始めたときは75kgでしたが、今朝は76.5kgです。だからちょっと盛りました。メンゴ。なお、方法について便宜上番号を振っていますが、その順番で進めたわけではなく、同時進行で進めたものもあります。多少わかりにくいものもあると思いますが、ご容赦いただけたらと思います。
1.お菓子を減らす
減量を始める前に、体重増加の原因、ひとえに「お菓子」にあることは自明でした。世の中のダイエット特集でも「お菓子をやめれば体重が減る」と書いてあります。(なお、私は酒は全く飲めないので、お酒については考慮していません。タバコも吸わないので、お菓子についてのみが私の問題でした)
とはいえ、「お菓子をやめれば体重が減る」なんて、当たり前ですよね?そら「イケメンだったら女性にモテる」とか、「高収入の職業に就くと婚活で有利」くらいの当たり前な話です。「いや、イケメンに生まれるのは来世に期待するしかないし、高収入の職業に就くには生育環境と当人の能力がでかいからやっぱり来世に期待だけど、お菓子やめるのは当人の意思だからできるだろ。」という意見もあるんでしょう。でも、お菓子食べるのが好きな人がやめるのって、イケメンに生まれ変わるくらい難しいことだと思うんですよ。自分の場合、「やめる」のはかえって無理だなと思ったので、「減らす」ことにしました。また、お菓子の種類も気を付けました。
まず、お菓子は2日に1回位をまず目指しました。それでもいきなりは無理だったので、1週間に5日間とか、休肝日ならぬ「休菓日」を設けました。また、会社のお茶菓子も無理につまむのではなく、あまり好まないお菓子だったら敢えて手に取らないということもしました。お菓子も、砂糖の入ってるものはまだともかく、ポテトチップスなどの揚げたもの、油脂の多いものは避けるようにしました。元々ポテチはあまり好きではなかったんですが、チョコレートを我慢するのはちょっときつかったですね。同時に飲み物も基本的に水かお茶、コーヒーは会社で飲む場合無糖で飲むようにしました。炭酸水はとくに有効でした。香料付きの炭酸水なんか、気分はジュースと同じですがカロリーゼロですからね。
お菓子については「買い食い」も多かったんですね。コンビニで買う機会が多いので、コンビニには基本的に立ち寄らない、立ち寄る用事があっても空きっ腹では行かない、あるいはお菓子コーナーを見ないようにしました。それでもたまには買いましたが。
最終的には2〜3日に1回、あるいは量を少なくすることにして頑張っています。
変わり種としては、コンビニに行かない分、本屋に行くという方法を採ったこともあります。ただ、本屋で新刊書をどっさり買うと経済的に大変だったので、古本屋街やブックオフなどで安く文庫本や新書を買い、「何かを買った」という気分を満たす方法へとシフトしました。これは摂取カロリーを減らすことには成功しましたが、家の積み本が増えたという問題が発生しております。
2.ストレス解消の方法を見直す
ストレスが理由でお菓子を食べてしまう場合、しばしば言われるのが「ストレスの原因を取り除く」なんですね。私の場合、ストレスの原因は主に会社の仕事です。これを書いている現在もストレスに満ちたクソ仕事は進行中です。仕事がストレスの理由なら仕事を辞めればいい…わけではありません。なら育児がストレスの理由なら育児なしにするんですか?意気地なしじゃないですか。(コラコラ
というわけで、ストレス解消を過食以外で、健全に発散できるようにしました。私が採った方法は、複数のストレス解消手段をもち、状況に合わせて使用すると言うことです。例えば読書、書道、将棋、映画、Twitterの大喜利、落語、YouTube、坐禅、長湯、ストレッチ、昼寝、などなど。色々試した結果、坐禅、ストレッチ、書道、プラモデル、美術館巡りあたりがレギュラー化しました。ただ、それ以外の方法も手段としてストックしてありましたので、気分と体調に合わせて使い分けました。ポイントは、「あまりお金がかからない」「義務化しない(かえってストレスになるから)」「他人が絡まない」ということです。将棋の場合、ゲームでも対局に負けると苛立つので詰め将棋が合いました。詰め将棋の場合、解けなくてもあまり悔しくなかったんですね。むしろ答えを聞いて面白いと思えました。とにかく、お菓子を食べる以外の方法でストレスを解消するようにしました。
3.体調を整える
ストレスに関わる話ですが、心身の不調も原因と思えたので、治しました。特に耳鼻科に通いまして、慢性副鼻腔炎、いわゆる「ちくのう症」を治療しました。現在も治療は継続中です。これは、口呼吸から鼻呼吸にするということです。他にも、ダイエット開始の少し前から甲状腺ホルモンの異常が見付かり、それが体調不良の理由だと分かりました。こちらも現在も引き続き治療しています。
4.情報を整理する
インターネット上のダイエット情報は正直玉石混淆で、どこからどこまでが正確か把握しづらい状態でした。そこで、ブックオフに行き、新書コーナーにあるダイエット情報、運動科学、トレーニング理論、栄養学などの本を買ってきました。ブックオフだった理由は普通の古書店にこういう軟派な新書があまりないこと、車で行きやすいこと、新刊で買うとハズレ本だったときのダメージが大きかったことなどが理由です。
購入の決め手は、基本的にタイトルでチェックして、次に著者の肩書きを重視しました。つまり、「大学教授」「医学博士」「栄養士」とかだったら買う。「スポーツコーディネーター」とか「ダイエットコンサルタント」とか「ハイパーメディアクリエイター」だったら買わないということです。ブックオフだと、美容コーナーにダイエット本は大量にありますが、タレントやアスリートのものは写真やインタビューが多く、あまり参考にならなかったです。本の内容でよかった著者の別の著書をAmazonの中古で買いあさり、さらに情報を整理するという手順を採りました。この情報整理は非常に重要な手順で、文献で情報を整理したことでインターネット上のダイエット情報も「これは重要」「これは嘘っぽい」と判断する根拠が持てました。そして、後述の運動を行う上でも、情報は非常に重要な意味をもちました。
5.体重を記録する
ダイエット中の体重の記録はとりました。というか、現在も(今後も)ダイエットに終わりはない、終わればリバウンドしかないので、一生続くと思います。ただ、ダイエットアプリとか、体重管理アプリは今ひとつ使いづらく(体重記録だけしたいんだけど広告とかも入るし)アプリはやめました。結局アナログなノートに書くのが楽だったんですけど、朝に測った後、すぐ書くのがちょっと面倒でした。そこで、ケンカ別れでブロックされた知人のLINEに毎朝体重の数字を送りつけておき、週末まとめてノートに転記しました。LINEだと朝の連絡で開くので、記録で数字だけ送るのが楽だったってだけです。別に自分にGmailでも何でもよかったんですけど、この記事読んでブロック解除されたら面倒くさいなあ。
6.運動する
で、結局のところ体重減らすには運動しかないんです。お菓子を減らすでも3kgくらいくらいは手軽に落ちるんですけど、基礎代謝が落ちている以上運動が必須なんですね。ただ、運動の手順には気を遣いました。膝を痛めないように、というのが本の中に出てきていて、とにかく筋肉を鍛えるより関節を痛めないこと、ということが多くの本に出てきました。ですから、ヒザを痛めたら終わりだと思ったので、とにかくヒザに負担をかけないことを重要視しました。
走れば痩せるのも早いという人もいましたが、90kgではヒザへの負荷も大きいと考え、とにかくはじめは歩く、自転車、水泳で、走るという選択肢は外しました。
歩くのは、例えば手前の駅で降りて歩くことから始めました。個人的には、歩いたときが一番体重が落ちた気がします。歩く際は、1km10分、時速6kmを目安にしました。はじめは1kmくらいでしたが、最終的には一度に3km30分くらい歩けるようになりました。通勤は自転車でしたが、ゆったりペースではなく、少しきついペースでこぐように意識しました。水泳は、主に夏場ですね。外を歩くとかえって危険な時期に泳ぎに行ってました。
市民向けトレーニング室は5回で1000円と安かったので、そこも利用しました。主に筋トレマシンと、自転車、ルームランナーです。前述の通り徒歩ではやせましたが、トレーニング室ではあまり痩せた実感がありません。これは、週に1回行けるかどうかだったのもあると思います。週に3回行けたら話は違ったかもしれません。ただ、トレーニング室で心肺機能を強化して、徒歩で歩ける距離数を伸ばしたのは大きかったと思っています。
トレーニングの有酸素運動は、調子に合わせて心拍数を変動させました。基本120未満ですが、時々140未満でもやりました。
トレーニング室に行く気が起きるようにするってのは、私は「麦茶を買う」ことで対策しました。鶴瓶師匠の写真が付いた麦茶、あれドラッグストアだと600mLで1本78円くらいなんです。10本くらい買ってくるんですね。邪魔なんですよ。でも、夏場でもないと麦茶を600mL飲む気が起きないんです。600mL飲むにはトレーニング室で運動するしかないんですね。期限も迫ってくるので、行かざるを得ないんです。これでゼロになるとまた行かなくなるので、ちょくちょく買い足しました。
筋トレは自宅でも行いました。レンタルしたストレッチや筋トレDVD、NHKの筋肉体操などを活用しました。仕事中でも空いた時間に軽くスクワットやつま先立ちをしてました。筋トレは下半身中心にしましたが、こちらもヒザを痛めないように留意しました。
7.モチベーションを保つ方法
ぶっちゃけロッキーシリーズの音楽を毎日聴き続けたらOKでした。
え?お前、最後が書きたかっただけじゃねえのって?
気のせいです。
先日、会社で後輩社員が「僕、この仕事向いてないと思うんです。」という主旨のことを言い出しました。正確にはもうちょっとぼやけた感じで「こういう仕事をしてなんになるんですか」みたいなニュアンスもあったのですけれど、「ああ、嫌気がさしてるんだな」と思いました。自分は今の厩舎に飼われて11年が経過しまして、見事にブラック企業の家禽となったチキン野郎なんですが、そういう考えの時期もありました。っていうか、未だに「意味のねえ仕事だなあ」「これやっても儲からねえなあ」「この仕事片付けたらボーナスほしいなあ」とか思うことは多々あります。日本の会社は大失敗しても正社員ならすぐ解雇というわけではないんですが、その代わり大成功してもあまり儲からないんですね。だから、先日同窓会で「あいつ何してる」とか聞いたら、優秀だった奴らが大体海外勤務してると聞いてさもありなんと思ったことはあります。じゃあテメエも海外勤務しちゃえと思うんだけど、日本の生活の快適さなんかを海外旅行で気付いてしまうと(たとえば水道がそのまま飲める国は少ない)じゃあ海外勤務!転職!外資系!とは行きませんね。結局、報酬より普段の余暇を重視しちゃう人で(オタクだからなあ)、普段の余暇がないのだったら高い報酬はあまり意味がないなと思うんです。実際、ある同期が出世コースに乗って「おめでとう!」って思うんだけど、同時にそれは先々まで、下手すれば60歳まで人生を会社に捧げる行為なんですね。だから自分はヒラのちょい上で出世しないように頑張ってますけど、ちょっとずつ出世しないと給料が上がらないし、そら給料上がらなければ趣味にかける「おあし」ってのがなくなるからそこはまずいわけです。
やっぱり向き不向きってのはあって、自分の場合今の会社でやってることが向いてる仕事かって言うと、実はあんまり向いてない仕事だなと思うんですね。たぶん出世したくないから出世しないだけじゃないんですよ。出世したくないって言ってたやつがいたんですけど、すごい才能があって「ああ、こいつこの仕事向いてるな。会社はこいつ雇ってよかったな」と思った男がいたんです。でも、今はドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜されて、本社勤務してます。気の毒に。会社もよく見てるなあと思いましたねえ。だから、出世しないように頑張ってるんだけど、それでも出世しないのは、やっぱり才覚とか才能がないというか、テメエにはこの仕事が基本的に向いてないよと言う話なんです。じゃあなんで辞めないのかというと、勤務時間は長いんだけど仕事の裁量が割に自由度高くて自分で業務の順番が決められる(もちろん昔は優先度間違えてひどい目に遭ったぞ)し、今の部署だとあんまりノルマ(売上げ目標)がないんですよ。だから才覚ないけど出て行けこの野郎ってレベルじゃないんです。今でもある程度はスキルアップみたいなことはしていまして、「生き残るには才覚を磨かないと行けない」とは思います。だから後輩君に「いや、俺も向いてなくてねえ」なんて慰めたんだけど、「あんた向いてるじゃねえか!」と逆に怒られちゃったわけです。
実は、中学生のとき、「なるにはBooks」ってのがありました。今調べたらまだあるそうです。読むようにと言われたので読んだんですけど、読んだのが俳優とか声優とか作家とか落語家とか、何、ろくな仕事の本じゃなかったんですね。なんでもっと堅実な仕事のシリーズを読んでおかなかったんだと今では思うんですけど。たとえば「絶対に落選しない野党議員になるには」ってのはすごく読んでおくべきだったと思いますね。Twitterに毎日罵声リプが飛んでくること以外は快適に暮らせただろうにと。(コラコラ
その中に「映画監督になるには」というのがありました。中身はほとんど覚えてないのですが、様々な映画監督になる秘訣をアンケートした結果が巻末にありました。ある映画監督は「お金である。カメラは友達に借りる、フィルムは万引きするにしても、フィルムの現像料金が絶対に必要である。」という真面目なのか不真面目なのかよく分からないコメントを残されていました。ただこれは今ならよく分かる話で、結局映画はお金がかかる話だし、そういうお金の管理とか工面ができない人は向いてないよと言う話だったんじゃないかと解釈しています。(いったい誰の発言だったか忘れたけど、わざわざこのために古書を購入するのもシャクな話ではあります。)
今でもファンですが、当時もファンだった山田洋次監督のコメントもありました。「映画監督に限らずどんな職業にも才能が必要なのですが、その才能は自分では見付けられず、周囲の人に見付けてもらうものですから、その才能を見付けてくれる人と出会うことからではないかと思います。」という主旨のことがあったと記憶しています。何で覚えているかというと、これはそのとき意味が分からなかったんです。だから、母に見せて聞いたんですね。そしたら「ああ、山田監督は映画の通り誠実なことを言っておられる。その通りだ。お前はまだ意味が分からないかもしれないが、才能は自分で見付けるものではなく、人に見付けてもらうものなのだ。この文言はよく覚えておきなさい。」みたいなことを言うわけです。で、一応覚えた。実際大人になってみたら、その通りで、才覚は他人に見いだされるのだなと思います。
ただ不思議なもので、「才覚がない」「才能がない」「向いてない」という自己評価は割と周囲と合致するんですね。しばしば向いてる人は「向いてるか分からなかった」とか言われますけど、向いてない人が「俺は向いてる」と言い張り続けるのはだいたい虚勢だと思います。そら失敗も続くしねえ。
とはいえ「あんた向いてるじゃねえか」という発言はビックリしたけど、ちょっと彼への言い方が間違ったかな悪かったなとも思う反面、少し面映ゆくて、またほんの少し嬉しかったんですね。向いてねえなという自覚があって、大失敗して泣くまで怒られた過去がありました。(反省していることを示すためには家まで3時間かけて歩いて帰る必要があった。「みんな一度は泣きながら歩いて帰ったんだ。お前がやらないのはおかしい。本気でやる気なら今日は泣きながら歩いて帰れ。」というのが理由で、今思えばパワハラだった気がする。もちろんそういう先輩が転職していった後、自分が古株になったので「そういうのはなくすべきだ」と言ってなくしてったけど、なくすまではかなり大変だった。話がそれるから一行で済ます。)だから「向いてるじゃねえか」という一言はもしかしたら、個人的には保身みたいな動機でやってた努力が、周囲の誰かには「才覚」に見えたのかなあとも思いました。
そこでふっと思ったんですけど、向いてる向いてないだけが仕事の尺度じゃねえなあと思うんですよね。なんというか「ものになる・ものにならない」というのも尺度じゃねえのかなと思うんです。前職の営業、向いてるって言われたんだけど、ものにならなかったんですね。これは色々事情があるんだろうけど、一番は「あんまりやりたくないなあ」という思いが先に来ちゃったんです。やりたいか、やりたくないかってのは大きいんですよ。たぶん、今よりもっとブラック企業だったので(おそらく現状の基準だといまの職業はグレーだけど、前の職場は完全に黒だった。手取りはどう計算しても30過ぎるまで20万円を超えなかった)気分が悪くなっちゃったんですね。もう「やりたくない」しか頭になくなると、人間は壊れちゃうんだなと。で、休職を機に色々考えて、復職せずそのまま退職しました。そういうことがあって再就職したんで、簡単に辞めるわけにはいかなかったというのはありました。前よりそこそこ待遇がいいから向いてないけど辞めずにもう少し頑張ってみよう、職場に残るためには努力が必要だな、で今に至るわけです。だから、もしかしたらそういう姿勢で粘ったっていうのが「少しはモノになってきた」のかもしれないなと思いました。もちろん、「俺はモノになった」と言い切ることほど恥ずかしいことはないんですけど、後輩の「あなたは向いてる」というのは、そういうことかなと考えたわけです。
でも、結局ものになったかどうかというのは、すぐ分かる人もいるけど、最後にならないと分からない人もいるんですね。スポーツだったら金メダルやタイトルを獲得するとか、名選手と呼ばれる人はものになってるんでしょう。でもそういうオリンピックとか、世界選手権に出られる時点でもうその人は傑物なんですよね。出た時点でものになってるんです。そういうのは、相当な例外だと思うんです。普通の人は、ものになってるかなんて自覚ないまま生きてる気がします。必死で生きてるっていうのかな。一度ある先輩に「何をしたらものになったと言えるのでしょうか」と聞いたことがあるんです。そしたら「定年まで勤め上げたらものになったと思うけど、定年が延長されたらその前にお前はあの世かもな。」といういいんだか悪いんだかよく分からない一言をもらいました。そういう意味では「ものになりかけてる」んだけど、そこに浮かれず、地に足着けて今後も精進せよ、ということなんだと思います。毎度毎度「どうして俺は絶対落ちない野党議員になれなかったんだ」とかは言わないように…。
そうなるとここで文章を書き上げるのも年に何回かなって話なんですが、ここに書いても食い扶持も禄も増えませんので、やはりそっちが優先されるんでしょうね。でも、たまにはここに書いて吐き出さないとものを書く力も衰えますので、筋トレのようにこつこつ書いてみたいと思います。